ノブリス・オブリージュで「収入」が決まるって話

「ノブリス・オブリージュ」

ここ2,3日、この言葉をよく耳にする。

意味がわからないし、そもそも何語だよ?と調べて見ると、フランス語で「金持ちとか地位がある人はそれ相応の義務があるよ」という意味らしい。

ああ、いやだな。と思うわけ。

ああ、また税金の話かよ、と。
どんだけ巻き上げるのよ、と。

平等な社会のためとか言うけどさ、お金ある人はそれ相応のリスクをとってるし、勉強してるのよ。

お金と時間を投資してんのよ。
帰宅して家でぼ~っとテレビ見てるわけじゃないのよ。

それなのに、そうやって稼いだお金を、なんの努力もしない人に分けるからって奪っていくのは真の平等と言えるのかよ?
と、思うわけだ。

実はここ数ヶ月ずっと税金のことを考えてた。

税金のことを考えて、なんとかして税金安くならないかなとか考えて、色々調べるけど、先送りにするくらいしか出来ない。

海外移住すればそれなりに安く出来たりするんだけど、僕結婚してちっさい子供が2人いるし、奥さんは日本どころか地元から離れたくないタイプだし現実的にない。

ここはもうきっちり税金を払うしかないというのが結論だったりする。

それでも多額の税金をなんとか抑えたいていうのが人情じゃん。

 

だから数ヶ月もの間、税金いやだ~!と悶々としてるわけ。
そしたらなんと、ノブリス・オブリージュとかいうよくわからん言葉よ。

そうそう、先月、明治神宮に行く機会があって、参拝しておみくじ引いたら「国民の義務を果たしましょう」みたいなことが書いてあるのよ。

それを読んだ一緒にいた友達が「しっかり税金払えみたいな?」とか言うのよ。

マジかよ!
神様までそんなこと言ってくんのかよ!って。

いやもう、これはキッチリ支払うことを考えようとなるわけだけど、もちろんこれまでもキッチリ、いやキッチリすぎるくらいキッチリ支払ってきたけど。

去年の確定申告をとある税理士に見せたら、「この売上でこんなに支払ってる人久しぶりにみますね~。」と言われたくらい「支払い過ぎじゃねぇか?」と思うくらいキッチリ支払ってるけど、

今後もキッチリ支払うしかないなとなるよ。

 

でもさ、ちょっときいてくれ。

さっきの言ったけど、俺も勉強にたくさんのお金と時間を使ってきたし、リスクもいっぱい今でもとってるのよ。

そんなにいっぱい持ってかれちゃったら、じゃあもう働くのはほどほどにしようかな・・・てなるよ。

なるでしょ!

俺、市県民税だけで年間160万も支払ってんのよ?
一日4383円だよ。

生きてるだけで4383円支払わなきゃならない。
意味わからん。

使ってるのは公園くらいなのに。

 

あとさ、いくらか忘れたけど社会保険とかも結構たくさん支払ってるよ。
たしかあれは天井が決まってるから、天井いっぱい支払ってる。

でもさ、俺病院行くことほとんどないのよ。

なぜなら、健康にかなり気を使ってるし、健康食品とかサプリメントとか体調に合わせて飲んでるし、もう一度言うけど、普通の人よりよっぽど健康に気を使ってるから俺病院ほとんどいかないのよ。

暴飲暴食もしないし、毎晩仕事帰りにビール飲むみたいな感じじゃないし、そもそもビール飲めないから、飲むとしたら発酵食品の日本酒だし。

日本酒アルコール度数ビールより高いじゃんとか思うかもしれないけど、1升開けるのに3,4ヶ月かかるくらいほとんど飲まないし。

去年はインフルエンザっぽかったので数年ぶりに診察受けにいったけど、それでインフルエンザだったけど、医者が「薬出しときますんで」ていうのを断って

「自力で治せるんで薬いらないです」て断ったからね。

だから、薬代すら保険適用されてないのよ。
いや、もらってないからさ。適用もなにもないじゃん。

ほいほい薬のんで免疫力下げてまた風引いたりインフルかかるような真似はしないわけよ。

だいたい、お年寄りでもないのに薬いらないからね。
現に薬使わずに数日でインフル治ってるし。

 

で、そのくらい健康に気を使っているのに、保険料はその辺の人の何倍もしはらってるわけさ。

「そんなの逆に不平等じゃない?!」とここ数ヶ月ずっと思ってたら、

「ノブリス・オブリージュ」ですよ。

 

ノブリス・オブリージュなんて言葉は、数年に1度聴くか聴かないかくらいの言葉じゃん。

でもここ数日で何度も聴く。
で、さっきもフランス語を耳にしたわけ。

YouTubeみてたら「ノブリス・オブリージュ」って。

マジかよ。またかよ。

で、ノブリス・オブリージュって、どんな意味よ?
と調べたらさ、さっきの意味。

でさ、僕がこれを書きたくなったのは、そのYouTubeが原因なわけさ。

西洋の大富豪たちがどのくらいノブリス・オブリージュしてたかって話で、有名なタイタニックの話が出てきた。

大富豪たちが乗船していたタイタニック。

総勢2200名ほどのお客様がいたと。
事故が起きて、1500名が亡くなった。

生存率が全体では、
女性と子供の生存率が7割だったのに対して、
男性の生存率はたったの2割。

つまりこういうことだ。

 

氷山にぶつかって、「こらあかんわ、タイタニック意外とあっさり沈没するわ。」と富豪たちが思ってた頃、

船長は「救命ボートの数が足りない、60名×20隻=1200名分しかないよ。どうしよう。」と、

それを知った富豪たちは、「ノブリス・オブリージュ!」と女性と子供を優先した。
自分の命と引換えに。

「金持ちとか地位がある人はそれ相応の義務があるよ」ということで。

 

しかも興味深いことに、女性と子供の生存率は、船室の等級が上がるにつれて高くなる。

これは言い換えると、お金持ちほど、ノブリス・オブリージュする傾向が高いわけだ。

当時アメリカ1の大富豪、ジョン・ジェイコブ・アスターもそうして亡くなってる。

 

「これが持てる者の器なのか!」と感心したよ。

持てるものほど、他者を思いやる精神がある。
他者を救うために、命すら捧げられる。

それに引き換え自分はどうか。

税金のことをケチケチ言ってるなんて、なんともちっさな器だな、おい。
この器で終わるのは嫌だな。

今の自分がタイタニックに乗り合わせていたとしたら「ノブリス・オブリージュ」できるのだろうか?

家族にだったら出来るだろうが、ほとんど知らない人のためにそれが出来るか?

なんとかして、ボートの端っことかに捕まってしまいそうだ。

 

タイタニックから見えてくるのは、人のステージは、ノブリス・オブリージュの覚悟度合いで決まってくるということ。

ノブリス・オブリージュの覚悟が決まっているから、持てるものでい続けられるんだろう。

ただ、お金持ちの家に生まれたからお金持ち、というだけではないと思うよ。

お金持ちでいつづけるのも、普通の人では無理なわけ。

その証拠に、宝くじで1億当たって破産する人が多いのは、普通の人ではたった1億すら持ち続けられなかったからだよね。

 

別に万人がノブリス・オブリージュする必要はないかもしれないが、
僕はノブリス・オブリージュできると確信できるような自分になりたいと思うよ。

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