聲の形でしょうたが心を開けた理由

映画【聲の形】見てきました。
 
小学生の時、聴覚障害のあるしょうこをイジメてたイジメっ子(しょうた)が、彼女が転校すると今度は自分がイジメられっ子になった事で自分のしてきた事に罪悪感を覚え、高校生になってしょうこに謝罪に行くところから、しょうたの人生が好転してく話。
 

勇気を出して行動をしたしょうたがどうなって行くか?
 
 
 
人生が好転していきます。
ただ、今まで悪転していたものを逆向きの運動にするのだから摩擦が起きる。
 
つまり、しょうこの家族がしょうたを嫌ってる。

 

しょうた自身も「自分が歓迎されないのは当然。」と覚悟している。

 
 
 
この覚悟が大事で、ちょっと上手くいかないとすぐに投げ出してしまう人、行動を止めてしまう人って覚悟がない場合が多いです。
 
 
ノウハウや知識、スキルは学んで磨いていけるし、時間がないわけでもないからやれば上手く行くのに、覚悟がないばかりに投げ出して結局うまくいかない。
 
次のノウハウを学ぶけど、なんでもある程度の鍛錬は必要なものなので、初めは上手くいかない。
するとまた投げ出して次のノウハウを学ぶ。
 
 
こうしていつまで経っても上手くいかないわけです。
 
 
別にノウハウが悪いわけじゃない。
それで稼げてる人は実際にいるわけで。
 
 
上手くいかないのは覚悟が足りないことが原因。
 
そこに気がつけることがまず重要で、これも自分で認めることで先に進めるのです。
 
 
自分には覚悟が足りないな。って認めるのは少しだけ勇気が必要ですが、認める。
そうするとビジネスもうまくいき始めます。
 
 
しょうたはそれをやって、摩擦になんとか耐え、善徳を積むことであちこちで友情が芽生え、それが自分に返ってくる。
 
 
 
つまり、カルマが己に返ってくる(イジメられる)事で魂が磨かれ、勇気を持ってカルマの解消に向かう事で、さらにいい方向に向かって人生が動きだす。ってことですね。
 

 
 
最終的にはしょうたは世間に対して心を開けるようになるのだけど、これはしょうた一人の勇気ではなくて、カルマの解消をして行く過程で詰んだ善徳が友情となって背中を押してくれるから。
 
 
そんな『勇気とは何か?』を『因果応報』と絡めて、綺麗に表現してくれてる映画でした。
震えながら進んで行くって男らしいですよね。

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