テクニックか人間性か?

テクニックか人間性か?
 
例えば戦争の天才がいたとして、その人の人間性が全く育っていないとします。
 
人が死ぬことに悼みなど感じず、己の利益のためにのみ突き進む。
 
 
これってやばい状態ですよね。
ヒトラーみたいな感じでしょう。
 
では逆にテクニックは全くない、でも、素晴らしい人間性、考え方の方がいたとします。
 
イエスキリストはみなさんご存知の通り素晴らしい人だったわけです。
 
だから2000年以上経った今でもキリスト教信者がたくさんいる。
彼の思想はバイブルになり、今でも生きているわけです。
 
 
ではキリストに教えを広めるテクニックがあったのか?というと、僕はお会いしたことがないから分からないけど、ある程度あったのでしょう。
ある程度というのはせめて人並みくらいはあったという意味です。
(あくまで個人的な想像の話です。)
 
 
思いの強さだけでなく、話の上手さもあったかと思います。
 
 
でも、実はキリストさんほどではないにしても、素晴らしい人間性を持っている方って歴史上何人もいるんです。
 
悟りを開いた人。
 
 
でも悟りを開いた人が世の中をよりよくできたか?
残念ながら全員ができたわけではありません。
 
悟りの境地に達した人の考え方はわかりませんが、そのまま瞑想を死ぬまで続けただけの人も結構いるそうです。
 
つまり素晴らしい人間性はあったけど、テクニックはなかった(もしくは使わなかった)ので全く世の中に貢献してない。
 
 
これじゃ意味ないですよね。
 
なので人間性かテクニックか?で言えば、これらは車の両輪。
どちらも大事。
 
 
ただ、より重要な方はどちらか?と考えてみたときに、やはりキリストさんのことが頭をよぎります。
社k
つまり、人間性が素晴らしければそんなにすごいテクニックがなくても世の中良くできる。
 
 
その思いに周りが共感、共鳴し、勝手に広げてくれる。
 
 
今、世界の経済はFXがどうとかマーケティングがなんとかとごちゃごちゃしています。
そんな中で毎日おはぎを作り続けているだけで世界をよくしているおばあちゃんがいる。
 
畑を耕すだけで社会に貢献している農家さんがいる。
 
 
そんな景色を見たとき、テクニックはある程度、もっと大事なのは人の心だと僕は思うのです。
 
 
お釈迦さんが旅をしていたとき、呼ばれるままに教えを話に行くだけでファンができ、自分の目的も達成できた。
ただ人のために一生懸命やったら後の世にお釈迦さんの教えが広がって、多くの人を救っている。
 
 
これって今の僕らが1日1回くらいは思い出したい事実ではないでしょうか?
 
本当の友達をビジギャルに学ぶもとても大事なことです。

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