孤独な少年時代を20年越しにブレイクスルーした方法

こんにちは。片山真一です。
今回はブレイクスルーをする方法という話をして行きます。
※音声はこちらです

ちょうど今、僕がブレイクスルーをした直後なのです。
なので少しいつものテンションと違いますけれども聞いてください。

ブレイクスルーというのは、自分の殻を破るということだと思ってください。

その殻を破れたら、今までと景色が違って見えます。
同じ景色がまた違って見えます。

叔父さんとの関係

僕の例をお伝えします。
僕が今ブレイクスルーしたのは叔父さんとの関係なのです。

僕の叔父さんはとても面倒見がいい人です。

母子家庭だった僕を小さいころからいろいろな所に遊びに連れていってくれたり、おもちゃを買ってくれたりしました。

本当にお世話いろいろしてくれたとってもいい叔父さんなのです。

叔父さんは僕のお母さんの弟なのです。

叔父さんは、時々突然にうちに遊びに来て僕やお姉ちゃんと遊んでくれたりして、おもちゃを置いていってくれていました。

すごく穏やかで優しい叔父さんなのです。
怒ったところはめったに見ないという、そういう方です。

そんな叔父さんとずっと僕は仲良くやっていたのですが、僕が高校1年生の11月25日にある事件が起きました

その事件というのは、僕がお兄ちゃんのようにずっと慕ってきた従兄弟がいるのです。
その叔父さんの息子です。

名前はYとしておきます。
そのYは19歳だったのです。

僕より3つ上の19歳で、その日の朝に仕事に出かけました。

バイクにのって仕事に出かけて、だいたいいつも5時半ぐらいに帰ってくるのです。

しかし、待てど暮らせどYは帰ってこない。

そうしたら電話が鳴りました。

救急隊員の方からYが死んでしまったとの電話が来たのです。

バイクの事故で仕事から帰ってくる途中に亡くなってしまったっていう連絡だったのです。

みんな急いで病院に駆けつけたのだと思います。

僕は学校帰りに先輩の家に遊びに行っていたので行くのが遅くなってしまいました。

病院に行くとみんなが集まっていて、Yが部屋で安置衣装というのでしょうか。

顔に布をかけて横になっているのです。
みんな泣いていて、もちろん僕もすごく悲しくて泣いた覚えがあります。

Yは本当にいいやつだったので、友達もたくさん駆けつけました。

友達もみんな泣いているという状況は、本当にドラマみたいな状況でした。

僕はその1ヶ月前に母を亡くしたばかりだったので、そのYの死は信じられないという、言葉では片付けられないぐらいのとても悲しい出来事だったのです。

ずっと小さい頃から一緒に、毎日のように遊んでいたお兄ちゃんのような存在だったので、すごくきつかったです。

その後みんなで悲しみを分け合って支えあって何とか乗り越えたのです。

命日で起こった叔父さんとの出来事
でも、それから1年後にYの1回目の命日があったのです。

僕らにとってすごく大事な日です。

Yのことを偲んで思いを馳せるというような、そんな日でした。

そうなるはずが、その当時に僕がお付き合いしていた女性がいるのです。

その女性は時々暴れちゃうことがあるのです。
ヒステリーになってしまう時があるのです。

いつも僕は我慢していたのです。
我慢して、まあまあというみたいな感じでいたのです。

実際のところは、蹴ったり殴ったりするような感じの子だったので蹴られ殴られ耐えていたのです。

1番初めての命日の日にその子がヒステリーになってしまったのです。

いつもは耐えてきたのですが、すごく大事な日だったので僕も頭にきて堪忍袋の緒が切れて、暴れまくる彼女を押さえつけたのです。

Yが亡くなり1周忌という本当に大事な日だったのです。

付き合って数ヵ月のお前が俺たち親族一同のYの大切な1周忌を汚すのかと思ってものすごく頭に来たのです。

普段はそんなに怒ったりはしないタイプなのですけれど、その時ばかりは僕が怒鳴っていたのです。

相手も怒鳴っていましたがそういう状態でした。
恥ずかしいけれど16歳の時ですから仕方ありません。

るとそれを聞いていた叔父さんが、僕がいた部屋に怒鳴り込んで来ました。

「こんな大切な日なのに、お前ら何をしているのだ!?」
「こんな日ぐらい喧嘩せずにいられないのか!」

と部屋に怒鳴り込んできたのです。

そして、
「もう出ていけ、お前はもう出ていけ!」
と言われたのです。

僕にとっては出ていけというのは結構重い言葉です。

なぜかと言えば、母を亡くして父もいなかったので、その家で生活していたから。

そこしか居場所がなかったから、そこから出ていけと言われてしまったら、行く当てがない。

これは経験してみないとわからないと思いますが、僕にとっては非常に重い言葉でした。

お前この家に住まわせてもらっているのに、こんな大事な日に暴れるなんて。
出ていけという話です。

叔父さんが悪いと言いたいわけではなく、むしろ逆です。

叔父さんからすれば、大切な日に怒鳴り声が聞こえてきて頭にくるのは当たり前です。

大切な息子の初めての命日だから、堪忍袋の緒が切れて怒鳴り込んで来た訳です。

僕と女性が怒鳴りあって喧嘩しているところを見て、こんな大事な日にお前たち何しているのだとなるのは当然の話です。

本当にそりゃそうだろうなと思います。

彼女が命日を汚すということに対して、僕が腹を立てたなどと言う事は勿論知らないわけですから僕も同罪です。

暴れ仲間みたいな感じに見えたわけです。
まさか叔父さんと同じ気持ちで怒っていることは思い至らないことでしたでしょう。

だから、叔父さんの言動は仕方がないのです。

僕の気持ちをわかってあげたっていいじゃないのかと言ったところで、怒鳴りあっている人たちの気持ちなど思い至らないわけです。

しかもそんな大事な日に。

それで出て行けと言われすごく非常に傷ついたのです。

ああ、僕は家族がいないのだなんていうふうに、その時思った。

僕には家族がいないのだ、ここの家の人間じゃない、この家の家族ではないのだと。

 

お姉ちゃんとも仲悪いし、ほかの家の子供とは違って、僕はひとりぼっちだと思ったのです。
すごく傷ついたので、これ以上傷つきたくないなっていうふうに思いました。

これ以上傷ついたら、もう自分がどうなってしまうか分からない、立ち直れないという気持ちになったので、
それ以来は、叔父さんと距離を取るようになったのです。
それ以上傷ついてしまうと、本当に立ち直れないような感じでした。

傷ついた時は、すごく悲しいし、胸が痛いし、泣くしかできないみたいな感じではないですか。

その時僕は1人でしたし。

叔父さんと距離を取るという選択をしてから、はや20年以上経ちました。

この20年、ずっとそのわだかまりが残っていて、叔父さんと昔みたいに仲良く話すということができなくなっていたのです。

叔父さんは、もう覚えてないのかもしれないと思いますが、僕は自分を守るために叔父さんを悪者にする必要があったのです。

その当時、叔父さんを悪者にしていないと自分が保てなかった。

今はそのようなことはないのですが、その当時は自分が悪くないのだ、悪いのは僕の気持ちをわかってくれない叔父さんなのだ、だから僕は正しいのだと自分を正当化しないと自分を保てませんでした。

16の子供の思春期のそういう多感な頃の話なので、そうしないと本当に守れなくて、自分がどうにかなってしまいそうな孤独に耐えられませんでした。

おじいちゃんとかおばあちゃんもいましたけれど、やっぱりお母さんがいないとか親がいないとか、そのお兄ちゃんが死んでしまったとか。

耐えがたいことだったのです。

だから孤独で仕方がなくて、その孤独に耐えるためには叔父さんを正当化していたら、自分が自分を否定しなくてはならいことも耐えられなかった。

だから、おじさんを悪者にして、自分を正当化することでやっと耐えられる精神状態だったのです。

それがずっと20年間続いてきてしまいました。

でも、振り返ってみると、叔父さん全く悪くないし。
拒否されるということとはちょっと違うなと思ったのです。

ちょっと違うというよりは、だいぶ違うなと思ったのです。
その大切な命日に暴れてしまったっていうことを。

僕は彼女の暴れることを止めていましたが、でもやっぱりその女性と付き合っているのは僕なのです。

その日にその女性と付き合うという選択したのは僕だし、その日にヒステリーにさせてしまったのも僕にも原因があるのだろうと思いました。

20年以上経ってから叔父さんに謝った話

そんな大切な日に暴れてしまったことを、まず謝りたいと思って先ほど謝ったのです。
今回、お話しする3分位前にその電話が終了したところです。

まず、あの時のことをしっかり謝りました。

それから、あのとき僕が怒っていたのは、あなたと全く同じ理由で怒っていたのと話しました。

大切なYの1年目の命日を汚すようなことをしてくれたその相手にすごく腹が立ったのだということを伝えました。

そう言ったら叔父さんの反応はどうだったかというと。

あまり覚えてないという反応でした。
まあ、20年も前の話ですから記憶も曖昧になっていても仕方ありません。

いろいろそこから話をして、僕は15でしたが、20年以上経って大人になって、子供や奥さんがいる家庭も出来た。

叔父さんにもまだ娘さんがおり、みんなで仲良くあの助け合いながらやっていこうという話になりました。

よろしくお願いしますということを言ってくれて、僕もこちらこそよろしくお願いしますということで電話を切ったのです。

電話を切った後や、話している最中の感じは、もう何10年かぶりで腹を割って話せた感じでした。

すごくなにかが溶けていく、氷が溶けていくという表現がふさわしい感じでした。

いろんなわだかまりがあったけれど、そのわだかまりは全部溶けていきました。

今どういう生活をしているかとか、みんなで旅行にでも行こうかとか、というような話をしました。

なぜか単純に嬉かった。

正直、僕は叔父さんの家系の人間の名字ではないので孤独を感じていたのです。

あの時以来、繋がりがなくなってしまったような感じがしていたのです。

でも、ずっと繋がっていたのだなということを認識しました。

 

また、これからもずっと繋がっているのだなということを認識して、今は家庭があり孤独ではないのですが、より強い暖かさや繋がりの自信を手に入れた感じがします。

何があっても僕たちは繋がっていられるという自信です。

これはすごい心の支えになりました。
今日はそのようなことがありました。

それがブレイクスルーです。

ブレイクスルーするために必要な3ステップとは!?
ブレイクスルーする方法というのは、今の話に全部含まれているのですが、まとめます。

  1. ずっと引っかかっていることを思い出す
  2. その出来事について自分がした決断によるベネフィットとデメリットをできるだけたくさん考える
  3. それを統合するために、直接相手に素直な気持ちを伝える

ブレイクスルーする方法は、ずっと引っかかっていることを思い出すこと

ずっと引っかかっていることを思い出すと、いつどこで何があって、どんな言葉に、どんな反応をしたのかということを思い出す。

それによって自分は、どのような態度を取るようになったか、それによって自分はどんな決断をしてしまったのかということです。

その決断してしまったというのは、それが悪いことというわけではありません。

僕の例で言うと、距離を取るという決断をしました。

も、それというのは自分を守るためだったので、そのときは必要なことだったのです。

だからそれが悪いわけではない。
ただ、それを思い出す必要があります

その距離をとるという決断をしたことによって、自分はいったい何を得ていたのか?ということです。

僕の例で言えば、もう傷つかなくて良いっていうベネフィットを得ていたわけです。

自分がした決断によるベネフィットをできるだけたくさん考えてみます。

そのベネフィットを得ることによって、ベネフィットにはマイナスがある、プラスには必ずマイナスがあるからマイナス面を書いてみます

僕の例ですと叔父さんと距離をとることによって、これ以上傷つかないというベネフィットを得たわけです。

しかし、どんなデメリットがあるのかと言うと、拒否することによって愛情を失ってしまったこと、叔父さんとの親しみを失ってしまったこと。

叔父さんという、僕をとても可愛がってくれた方との関係をなくしてしまったことがデメリットです。

それを、次に統合するってことが大事です。

統合するために何をしたらいいのかというと、できれば僕がやったように相手に直接伝えた方がいいのです。

相手に直接電話をする直接会って話す、ということをしたほうが良い。
その時には必ずしっかりと自分が素直に思っていることを伝える。
素直な気持ち、それが非常に大事なことです。

それができたら何かがブレイクします。

僕のイメージですと、もともと壁などはなかったのだなということに気がつきました。

ブレイクスルーとか言うと、壁をなにか壊すみたいなイメージがあります。

しかし、本当に壁があったのではなくて、自分自身が勝手にその壁を作っていたのだということに気がつきました。

これはあくまで僕の場合のことです。

勝手に作っていた空気の壁、そういうものはもう既になかったのだと気がつきました。

だからもう本当にクリアに見えます。
叔父さんのことも、これからしっかりと目を見て話ができるのではないかと思います。

昔のように笑いながら話ができると思います。
それによって得たものは本当に大きいです。

まず本心を伝えるっていう勇気を得ました。
あとは、叔父さんとの絆をまた復活させることができた。

それから、信頼とか思いやりとか、愛情という人生の宝と呼べるものを手に入れました。

きっとこれをやってもらえば、あなたもそういうものを手に入れられると思います。

ただ、「これやるのかよ。」と思うと、とても精神的にきついと思います。

しかし、やってみるとブレイクスルーするのでぜひオススメします。

自分の人生をどう生きるかというのは、常に自分で決めることです。

強制など出来ません。

でも、絶対に実践することをオススメします。

今回はブレイクスルーをする方法という話で、僕の話をさせて頂きました。

あなたの勇気になれば幸いです。

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